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GERRY ジェリー


ガス・ヴァン・サントが「エレファント 」の前に撮影した小粒な秀逸作品。
登場人物は「ケイシー・アフレック」「マット・デイモン」のふたりだけ。
舞台は砂漠。
台詞も少なく、状況説明も無し。
ふたりの青年がひたすら歩く歩く歩く。ハイウエイを目指して、というより探して歩き続ける。

時折交わされる二人の会話も明確なものではなく、察するにかなり仲の良い
もしかしたら「幼なじみ」くらいの親しさではなかろうか、という感じ。

アメリカにはまだこんな場所があるんだ。
今にも馬にまたがったネイティブ・アメリカンの男達が失踪していきそうな景色の中、
なにも持たない迷子の青年達は歩き続ける。

語られる言葉もなく、場を盛り上げる音楽もなく、ただただ広大な空と大地を映し出される映像に
だんだん不安な気持ちが強くなる。

人工造形物の無い世界がここまで人を不安にさせ心細くさせるのだということを
スクリーンから目の離れない自分の脳みそが理解してゆく。

その理解してゆく過程に気がつくまでは圧倒的な景色に頭がカラッポになる。
素敵な風景、などといってる場合ではなく、唐突に自分の隣に立っている「死」の存在を意識し始めることになる。

無言で歩を進めるふたりに寄り添うように、ふたつの「死」も歩調を合わせいっしょに歩く。
二人の不安が大きくなると「死」がその色を濃くするのがわかる。
彼らの心の動きによって「死」はその姿と色を変えてゆくけれど、決して彼らから離れることはない。

二人の青年も「死」の存在を意識しながら歩を進める。

意外に力強い足取りだった二人の青年が、心の均等をくずすのと同時に地面に崩れ落ちるシーンがある。
そこで「死」はふたりに覆い被さろうとするのだが。

人間の「明暗」を分けるのは体力と精神力だと痛感する作品。
健康な魂は健康な身体に宿るというが、まさにそれは真実である。

賛否両論わかれる作品だと思うけれど、「エレファント」への付箋だと位置づけると監督の意図する方向がなんとなく理解できると思う。
ガス・ヴァン・サント監督の作品 を見終わった後の疲労感は私にとって、とても心地が良い。
若い青年の描き方は世界一の監督だと、私は敬愛してやまないのである。

GERRY ジェリー

Posted: 日 - 6月 5, 2005 at 11:45 午前        


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