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ロシアン・ドールズ les poupees russes  2005フランス映画祭横浜にて


前作「スパニッシュ・アパートメント」 を彷彿させるオープニングと、
セドリック・クラピッシュ監督作品に欠かせない最高のスパイス「ロイク・デュリー」の音楽!

この作品をどれだけ待ちこがれたことか! 
オープニングシーンだけで期待に胸が高鳴ります。

ネタバレは好むところではないので、作品の詳細は避けますが、
「スパニッシュ・アパートメント」の続編「ロシアン・ドールズ」はまさに「クラピッシュ節」の効いた秀作。

前回に引き続き登場するエラスムスメンバー。
今回はイギリス人姉弟のウエンディ(ケリー・ライリー)と
ウイリアム(ケビン・ビショップ)がメインキャラクター。
そしてもうひとりグザビエと固い友情で結ばれている
イザベル(セシル・ド・フランス)が物語前半を盛り上げます。

留学後の5年間でみなそれぞれに成長しているのに僕はいつまで経っても成長しない。

そういう葛藤を抱きながら日常に忙殺されるグザビエの焦燥心を、
クラピッシュ監督は大きな愛情とユーモア溢れる演出で表現しています。

一児の母離婚歴有り、のタフなシングルマザーになっているマルチーヌ(オドレイ・トゥトゥ)も
グザビエにとってはクサレ縁の大事な友人。
彼女の誕生日にワンピースをプレゼントするグザビエですが、おもいきりサイズを間違えます。
これはいかにもありがちなエピソード。

きっとこの場面を観た恋人同士は早速お互いのサイズを確認しあうことでしょう。
無闇な諍いを回避するために。

いずれにしても友人関係の女性に衣類を贈るのは利口なことではありません。
それでもあえてワンピースをプレゼントをしたかったグザビエの心境もまたいじらしく微笑ましい。
この心境については割愛いたしますが、映画を観てくださればきっと貴方もグザビエを微笑ましく思うはず。

マルチーヌとグザビエが口げんかするシーンは子育て経験のある人なら、
その輪に加わって発言したくなること請け合いな迫力と実感がこもっています。

マルチーヌの息子ルカを育てているの、実はグザビエなのかな? 
とも思える口論内容ですが、
マルチーヌの発言ひとつひとつにも子育てに翻弄される母親の疲労感がにじみ出ています。

総体的にみると見落としてしまいそうなあっけないシーンですが、
ふたりの人生に対する焦燥心がよく表れており、大変印象的でした。

パリに住むグザビエの家族にもそれぞれ変化が起こっています。
前回ではちょい役で出演のあったグザビエのパパ(これがけっこうハンサム)は、
ママにとっては過去の男性に押しやられたようで、今回作に出演はなし。
うそつきでヒッピー、だったママも少し不器用な大人同士の恋に身を焦がしています。

グザビエのおじいちゃんは1906年生まれの98歳。
婚約者を紹介しろ! とグザビエの顔を見るたびに言うのですが、
まあ98歳であれば、孫の結婚を催促したくなる気持ちにも頷けます。

グザビエもおじいちゃんの期待に応えたいけれど、そんな女性にはまだまだ巡り会っていません。
多種多様な理由でグザビエは日常的に焦り、苛立っているようですが、
家族の問題もそれらのひとつとなっているようです。

悩み事の大きな要因のひとつである安定しない仕事と収入について。
これは誰でも経験のあることです。
自分の仕事と自分自身のやり方に自信を持てるようになるのも、収入が安定してくるまでには、
もう少し人生を歩まなくてはなりませんが、無論30歳のグザビエはそこまで考えがおよびません。

それ故仕事のために納得のいかない行動や発言をする自分と、
収入のためとは割り切れない自分に対しての嫌悪感を、グザビエはシニカルに傍観しています。

その心理描写が実に分かりやすくて愉快です。
こういうセンスが絶妙なのがセドリック・クラピッシュ監督の手腕。
いったん味わうと離せなくなるクラピッシュ・テイスト。
おもわず手を打ってしまいます。

フランス語で「ほら吹き男」のことはetre+faire le fanfaronといいます。
これを知っていると映画が楽しめるはず。
どうぞ心の片隅に留めておいてください。

ウイリアムとウエンディの関わりは、こういった物語前半の付箋の上に覆い被りながら展開されます。

前回ではただの「おおばか者」だったウイリアムとグザビエの間に友情が芽生え、
それが継続されていたのは意外です。
確かに「スパニッシュ・アパートメント」の時に「蠅の生態」についてグザビエに講釈をたれるウイリアムは
グザビエに好感を持たれていましたし、他人の領域にずけずけと入り込む厚かましさも、
ただの無邪気さ、幼稚さ、と理解すれば、それらは立派に彼の魅力なのかもしれません。

「スパニッシュ・アパートメント」の中で、姉の浮気を姉の恋人からかばった彼のエピソードを考えれば、
彼を「空気のよめない人間」、と断罪するのは気の毒です。
あのエピソードの彼はとても健気で男らしく立派だったといえると思います。
大爆笑のシーンなのでウイリアムの人間性を語る大事なエピソードであることを忘れてしまいがちではありますが。

きっとグザビエは彼をそんなふうに理解して友人になったのではないでしょうか。

その二人の友情と、いくつかの巡り合わせの不思議によって、
ウエンディが登場し、物語は後半戦に突入していきます。

それぞれに自分の道を探し当て、邁進しているようにみえる自分の周りと、
何も出来ていない、と思いこみ悩み悲しみじたばたする自分。
軽いノイローゼかと思えるくらいグザビエは混乱し、
周りに振り回されて端から見てると気の毒を通り越してむしろ滑稽なくらいです。

しかし、若いときのこうした滑稽さ、一途さ、真面目さ、純粋さはとても貴重で大事なものです。
渦中に置かれているときはとんでもない、と思っていても、それらはしっかり自分の糧となり経験となって、
それ以降の自分を支えてくれる基盤になってゆくのです。

個人主義といわれるヨーロッパ社会であっても、
やはり若者は「自分は自分なのだ」と言い切れるまでにはそれなりに時間を必要としているようです。

今回の「ロシアン・ドールズ」のラストシーンでこのタイトルについての説明めいた発言が
グザビエからされるわけですが、そこで初めて私の中ですべての国境は取り払われ、
「すべての人間は同じような過程を経て成長するのだ」と認識することになりました。

まあ少々啓示的すぎておかしいくらいではありますが。

グザビエの苦悩には「親近感」がついてまわります。
それはきわめてありふれた、けれど苦悩せずにはいられない普遍的な事柄について
彼が真剣に悩んでいるからです。

親孝行であったり、友人達への見栄であったり、仕事での成功欲であったり、
思い通りにならない恋愛関係であったり。
自分は何も成長していない。と劣等感を持つグザビエも徐々にではありますが
それらの小さいくせに厄介な悩みを自分なりに折り合いをつけるようになっていきます。

「あなた立派に成長しているわ!」
迷いながらも確実にステップアップしてゆくグザビエの肩を、
できることならスクリーンの中に入り込んでしっかり抱いてあげたい。
息子を2人を持つ母の私は心底そう思いました。

独身女性だったら、そんな悠長なことは思いません。
当然のようにグザビエを振り回す数々の女性達に混ざり、
若さ故のカオスに身を投じていたでしょうネ。

セドリック・クラピッシュ監督の持つ暖かく大らかなやさしさがいっぱい詰まった「ロシアン・ドールズ」。
公開は2006年5月か6月の予定だそうです。
公開を心待ちすべき作品であると断言したいと思います。


Posted: 月 - 6月 20, 2005 at 05:19 午後        


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