アクセス解析CGI

パピヨンの贈りもの


英国のテロの衝撃から少しでも落ち着きを取り戻したくて心温まりそうな映画を見ました。
昨年のゴールデンウィークに公開された「パピヨンの贈りもの」。
名優ミシェル・セローのじじいぶりに安心しつつゆったり大らかに鑑賞することができました。
ああ、よかった、心が温まりました。

名作? と聞かれたら困ってしまう作品ですが、今回のように心が殺伐としたときに見たら大変救いになる作品。
蝶々学者でもないのに蝶々に固執するひとり暮らしのじいさん宅の上階に、母ひとり娘ひとりの家族が超してきます。
登場人物がそれぞれに訳ありで孤独の陰を少し濃いめに背負っているのが分かります。

ひょんなことから蝶々じいさんのジュリアンと、9歳のエルザが春先に山の上で3日間の命しか持ち合わせない
「イザベル」という蝶を探しに行くことに。

普通、こういうタイプのステキな友情や人間同士のつながりを描いている映画の場合、2時間の中に、
かならずひとつやふたつのどんでん返し、というべき「悲しき誤解な展開」が用意されているのです。
今まで順調だったのに、小さな誤解から事態は思わぬ方向に。
と、いう例の、よくある展開。

物語に厚みを出して、盛り上げるためにはそれも必要な演出でしょう。
もちろんそんなこと説明されなくたって分かります。

でも、テロで50人も死者が出たような翌日は、せめて暖かいままの物語にすがりたいのが人情です。

この「パピヨンの贈りもの」には、悲しい展開はありません。
一瞬、時間にして10分くらいは「えー、そんな!」という筋書きがあるのですが、そんなことは重要視されず、
たいした説明もなくその筋書きはあっという間に幕引きです。

そこが、とてもとても気に入りました。

なんの問題も誤解もないままに、出会ったふたりの素直で美しい友情がそのまま続いて物語りが終わる。
ドラマチックな展開も、スリルもサスペンスもないけれど、ただ美しい蝶々を巡るお話しは
この作り方がぴったりだったと思います。

イヤなことや醜いこと、悲惨なことも無惨なことも、これだけ現実社会に溢れているのだから、
平穏無事な年寄りと子供の友情はひとときの安心となってワタクシの心に留まりました。

パピヨンの贈りもの

Posted: 土 - 7月 9, 2005 at 04:49 午後        


©