織り込み会話にもの申します、(あくまで弱腰で)
ジャン・レノとジュリエット・ビノシュ共演「シェフと素顔とおいしい時間」という映画をDVDで観ました。役者たちの演技力にすべてがかかっているような、最小限小道具と、閉塞的舞台設定のお話しはouiouiの好き好きジャンルなので、最後までじっくり楽しませて頂きました。ジャン・レノ、実によかったです。いぶし銀の外見と芝居をみせてもらいました。ビノシュも花丸。
ジャン・レノはアメリカで成功したビジネスマンで、フランス帰国中にビノシュに出会います。英語とフランス語をミックスで話すレノをひやかしたビノシュに「世界は狭くなったんだ!」と居直り怒鳴る場面。たしかに、ほんとうにそうですが、oui
oui
はどうも「彼をリスペクトする? みたいな」話し方が生理的に駄目ですね。どんな話し方でもいいじゃないか、と、言われたら、いや、べつにその通りなんですけど。でもやはり「おい、おい、だいじょうぶか? リスペクトの意味わかってんのか?」と、不安に駆られるような子供がそういった話し方をするのは、どうにもこうにも抵抗がある。随分まえに西海岸のサンノゼでセーラームーンのプリントシャツの横に「ポケットモンスター」というロゴのはいったTシャツを着てるスパニッシュ系の5,6歳の女の子を見かけましたがま、彼女はいいです。まだ小さいし、日本語教育もうけてないだろうし。特別抵抗はないです。でも日本は違う。中学一年生から英語教育をずいぶん熱心に受けるわけです。それでもまともに英語を話せない。あるいは、話せるのに、持てる限りの単語と身振り手振りで通じるのに、話さない。なのに、日常生活に頻繁に登場する英単語。固有名詞ならまだしも、動詞も形容詞もなにもかもめちゃくちゃ。母国語の乱れと衰退、を嘆くのは簡単だけど、そのまえに、使いたいなら使わせてみよう。無茶で強引な英語織り込み会話でもいいからやらせてみようよ、と、oui
oui
は思う。だけど、その前に一度丁寧な日本語で言わせる、というのはどうでしょう。ビノシュに怒鳴ったレノの言い分「バイリンガルなんて珍しくない、これくらいわかるだろう!」に対し彼女は怯まずにきっぱり。「わからないわ」これは痛快愉快だ。拍手喝采の共感しきり。「彼をリスペクトする? みたいな」との発言に、「どういう意味? わからないわ」と、聞いてみる。そこで丁寧な日本語で説明、あるいは応戦できない者は「英語織り込み会話禁止」にする。まずは正しい言葉を覚えるのが先ですよ、日本人なんですから。海外で生活していると、言葉の壁、文化の違い、外見の差異、もうあらゆる事で悩まされます。そんなとき、自信をもって自分を語ることのできる言葉を持っているのと、いないのとでは落ち込みと立ち直りの速度が違います。それを持っていれば、まさに、自分をリスペクトできます。外国で生活する異邦人としての価値観をきっちり確立してゆくことができるんです。でも日本語って難しいですよね。ここまで「織り込み説明禁止」で書いて参りましたが、まあ、大層骨の折れる作業です。英語を織り込むことで、ものごとを限定することなく、不特定多数を対象に、匿名性の高いあいまいな表現が可能になります。それは書き手の責任を分散させますから、或る意味「お気楽極楽らんらんら〜ん」な文章でいられます。そうか、お気楽なのか。もしかしたら「英語織り込み会話」の主軸となるのは「責任の放棄」ということなのかもしれないですね。でも自分の発言に責任を持たない、つまり、意味のないことで会話を成立させているんだとしたら、それってかなり無味乾燥で寂しい感じしますけど。どうなんでしょね。ロマンの笑顔でおくつろぎ下さいませ。
Posted: 金 - 10月 15, 2004 at 03:14 午後