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サインをもらう


いわゆる大人社会の中で「サインをする」といえば、なんらかの書類に記名をすることであるから、
「サインをもらった」となれば、それは相手の尾っぽを押さえた、だとか、
商談が成立した、とか、なんらかの損得勘定が内包される事柄をさすのであります。

と、うだうだ言ってますけど、早い話しが、げーのーじんからサインをもらって嬉しいな、と。
そういうお話しであります。えへへ

小学校4年生のときに「明星」というティーン向けのげーのーじんチャラチャラ雑誌に載っていた
ベイシティローラーズのファンレター宛先を見よう見まねで封筒に写し、
おもいきり日本語のファンレターを書いたことがあります。

当時、日本武道館でコンサートを行った彼らのフィーバーが日本中を洗脳している最中のことだったので、
おそらく、ロンドンの事務所には極東ニッポンからのファンレターが連日山のように届けられていたんじゃないかと
推察されます。

ファンレターを送って2ヶ月後にサインいりの彼らのポートレイトが届き、その後半年間ほど驚喜狂乱した過去があります。

そして、昨年のクリスマス。
ロマン・デュリスのファンサイトを立ち上げた我が情熱の証として、ロマン宛のカードを送ったところ、
なんと、3週間後にコピー用紙にサインされたロマンからの返事が届きました。

さすがに半年も驚喜狂乱できるほどエネルギーも時間もないので、その感動は控えめな大人のモノですが、
それでもやはり嬉しいは嬉しい。

事務所の人が書いたかも知れないしね、と、BBS で書き込みをしたら「コピー用紙だからこそ本物っぽい!」
と指摘され、「純粋な気持ちが通じたんですね!」と、一緒に感激して下さる言葉を頂くうちに、
それはほんとにそうかもしれない。これはほんとうにロマンが書いてくれたのかもしれない。

じわじわとそんなふうに思いこんでくればくるほど、コピー用紙への殴り書きのようなサインが熱く重く感じます。

ファンレターといっても、つたないフランス語で「WEB SITE」の案内と、これからも頑張って下さい、なんて
幼稚なことを綴っただけのものなのに(でもそのぶんカードは奮発した!)返事を受け取ったうれしさ。

ロマンの手に渡ってロマンが読んでくれたことを想定して眺めれば、そのサインはまさに
「サインをもらった」
という、大人的な重みをもつ、でも、そこにはひとつの損得勘定も入らない、純粋なやりとりが見て取れて、
人生の初心にかえったような、そんな清々とした気持ちにさせられてしまいます。

E-MAIL、添付ファイルなどのデータ行き来だけで済まされている情報のやりとりでは
とうてい感じ得ない感激を、ひさびさの肉筆のやりとりで思い知らされたワタクシなのです。

Posted: 木 - 1月 27, 2005 at 11:05 午前        


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