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タキシード姿の男性達


「ピアノマン」事件と時期同じくして公開される「ラヴェンダーの咲く庭で」。
どちらも大変ミステリアスで、人を引きつける魔力に溢れています。

空から落ちたスーパーマンがタキシード姿で海から上がってくる、という設定で始まる小説は村上龍の名作「だいじょうぶマイフレンド」ですが、先日イギリスのシネアス海岸で保護されたびしょ濡れのタキシード男性は「ピアニスト」。

来月4日より公開される「ラヴェンダーの咲く庭で」では、ダニエル・ブリュールがやはり海から上がったずぶ濡れのヴァイオリニストを演じています。
保護されたピアノマンの状況に興味を示したハリウッドが、一連の騒動を映画化しようとしてるらしいのですが、前述した「だいじょうぶマイフレンド」も映画化されてるし、ずいぶん前にどっかのテレビ局が、やはりタキシード姿の田村正和を海からあげさせて宮沢りえちゃんとキムラタクヤとでドラマを制作しています。

ですから、私にとって「海から上がるタキシード姿」というのはちっとも目新しくなく、先日映画館で「ラヴェンダーの咲く庭で」のトレイラーを 観たときだって「あれ? これは『だいじょうぶマイフレンド』じゃないか」と思ったほど。

しかし、世間では、ピアノマンが保護されたとき「ラヴェンダーの咲く庭で」じゃないか!

となってほんの少しだけ話題になりました。

海辺でタキシードで、というので もひとつ思い浮かぶのは「シティオブエンジェル」でのニコラス・ケイジ。
彼は空から落ちた堕天使ですが、ときどき朝焼けの奏でる旋律を聴きながら海辺で歌を歌うタキシード姿の天使達を見に行きます。
このシーンはなかなか感動深いモノがあり、いまひとつ出演作品の方向性がはっきりしないニコラス・ケイジの映画の中でもとりわけ印象に残っています。

タキシードのキチガイ。
で思い当たるのは、なんといっても「アンタッチャブル」のロバート・デ・ニーロ。
マフィア仲間と円卓をかこんで演説しながら、裏切り者である身内をバットで殴り殺す。
真っ白いテーブルクロスにひろがる赤黒い鮮血と、デ・ニーロの胸元に飛び散る真っ赤な血しぶきのコントラストが
彼の狂気の表情とシンクロし、事の異常さを際だたせます。

ださいタキシード。
これは間違いなく「トゥルーライズ」におけるアーノルド・シュワルツネッガーでしょう。
ラストシーンのタキシード姿でタンゴを踊るシュワちゃんのだささは、あまりにも悲惨で作品中の痛快さがすべて吹っ飛ぶ衝撃です。
筋肉が過ぎて横幅が余りすぎなのと、首の短さ、おでこ後退による顔面の広さに加え、ただすり足で動いているだけのタンゴステップ! これはもう酷すぎて目をそらしてしまう悲しさです。
演技も下手だしタンゴも下手。男前ってわけでもないし、『ターミネーター』のイメージそ払拭したいのか、やたら正義の味方ばかりを演じたがるのも鼻につく。
というわけで、ラジー・タキシードはシュワちゃんに決定。

タンゴとタキシードが悔しいくらい似合ってしまうのは永遠のきかん坊「アルパチーノ」。
映画「セイント・オブ・ウーマン」で、若すぎて七五三状態になってしまったクリス・オドネルと共にタキシードですが、年期の入った色男アルパチーノは、おもわず溜息をついてしまうほど素晴らしいタンゴステップで相手をリードします。
この女優の名前がいまど忘れで出てこないんですけど、とにかく、見惚れるタンゴ、といえばこのシーンは秀逸。

タキシードの男性はなにか秘密めいて見える気がします。
着る人をスマートに、匿名性をもって包むことができる衣服だからでしょうか。
タキシードの男性はすべての日常から孤立してしまった高貴さや寂しさを感じます。

だからこそ、海から上がってきたり、空から落ちたり、バットで殺人をおこしても、なにか「特別な事情」があるのだろう、と納得させられてしまう「なにか」がそこに在るような気がしてなりません。

すべては架空の出来事ですが、先日イギリスで保護されたピアノマンは現実の出来事です。
でもそれでさえ「彼にも何か特別な事情」があったんだろう。
タキシードも着ていることだし、きっとなにか特別な。

そう思えて不思議な収まり方で私の中に留められたニュースなのです。


Posted: 金 - 5月 27, 2005 at 09:17 午前        


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