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女5人あつまれば


先日鎌倉であじさいを見ながら美味しい物でも頂きましょう、
という優雅なお誘いを受けて、嬉々として出かけて参りました。
50代の3人、ワタクシともうひとりはぎりぎり30代。
総勢5人のマダムは先輩後輩の間柄。
とはいえ、もちろん同じ時代に学舎に在籍していたわけではなく、同窓生の会で知り合った仲。
17歳の年齢を超え、気の合うちょっと不思議な5人組。

それぞれに仕事と家庭を抱え、日々立ち止まることなく目まぐるしく多忙な日常に挑む5人。
ワタクシよりもそういった生活を10年以上も長く続けている50代のマダム達は
センスのいい天晴れなおしゃれ上手でもあるので、仕事に関しても価値観にしても、女としても
大変頼もしい人生の先輩であるわけです。

その5人の共通項は映画。

5人とも無類の映画好きですが、そのうち3人は映画が好きすぎて映画業界でばりばり仕事をしています。
私はデザイン業界で、もうひとりは会計士。
映画とは関係ないけれど(ワタクシは広告、というところで映画業界とは接点有り)、映画を人生の友として、
ばりばり仕事をしています。

予約された鎌倉のシックな料亭で目にも鮮やかなお料理を堪能したあとは
ワインを片手に映画中心に話題がどんどん展開します。
なにを話していても「それってあの映画にあったわよね、あのときの女優が付けてたネックレスがいいのよ!」
といった感じで必ず映画に戻ってきます。
映画をきっかけに広がった会話はすべて他の映画へ移り帰結され、そこから新たにひろがってゆく感じ。

映画ひとつからでも「おもしろかった」という感想のみ、ということはなく、呆れるほど細かいところまでチェックして
仔細に眺め回すその執念。
俳優がまとっていた衣類、食事の内容や食器、短い台詞(もちろん英語やフラ語で暗記している)、背景や建物など。
実に細かくよく覚えています。
ある意味すごくオタクな会話なのに、それについてこれない人間がいないのも、かなり強烈。
オタクなんて言葉が市民権を得る前から立派な映画オタクだったマダム達は
自分たちが映画オタクだなんて思いもせずに、脳天気に映画を楽しみ、
うち3人は映画でご飯をしっかり食べているわけです。

メンバーのひとりが字幕翻訳家だったこともあり、話しは日本語の乱れ方を憂う展開に。
字数の決まっている字幕の中に、物語の流れを崩すことなく適切な日本語を組み込んでいく作業は、
並大抵の語彙量ではまかないきれる物ではないでしょうが、一番意味合いが似ていると思える言葉でも、それが一般的に日常化している言葉でなければ字幕には使えません。

いかにわかりやすい言葉で簡潔に話の筋を伝えることが出来るか。

映像を眺めながら瞬時に字幕を読み取る観客たちが、「どういう意味だ?」「なんて読むんだ?」と考えてしまうような言葉はつかえない、ということです。

しかし、その日常化している言葉がだんだん減ってきている、と彼女を嘆きます。
どういう事かというと、簡潔に話しをまとめて勧めていくよりも、言葉数を増やしてだらだら喋る(説明する)ことが
日常化している昨今では、短い字数でわかりやすく易しい言葉で話しをまとめても、それすら理解できない、
わからない、と言われることが増えたのだそうです。

なるほど、言われてみれば、そうかもしれない。
べらべらとよく喋っているのに、内容の把握できない、つかみ所のない話をする人間、多い、多い。

勢いづいてそんな話しをまくし立ててるうちにすっかり3時間が経過して、肝心のあじさい巡りは
長谷寺だけしか回ることが出来ませんでした。

まあそれでも楽しく美味しくおしゃべりできて、「今度は葉山にイタリアンを頂きに行きましょう!」
と元気に手を振り解散でした。

お互いに距離を置きつつ、踏み込む事をせず、共通の話題で会話を展開し盛り上げていく。
そういった個々の才覚と気遣い心配りによってこの不思議愉快な5人組は
次回の会食を心待ちにしているのであります。


<<関連ブログ>>2004/10/15掲載


Posted: 土 - 7月 9, 2005 at 10:30 午前        


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