アクセス解析CGI

早朝散歩・言語習得能力・地元マダーン


犬の散歩をするパリの住人にならって、早朝私は子供と手をつながずに空気の澄んだ街中を散歩しました。
しつけの行き届いた犬がご主人様の前を歩くように、私は自分の2歩ほど前を子供達に好きなように歩かせました。

人間も車両も溢れんばかりの東京では考えられないのんびりゆっくりだらだら散歩。
これは大変気持ちが良くて、息子達も私もすっかり気に入ってしまいました。

朝7時半のオスマン通り。向こうの映画館ではロマンの「De battre, mon coeur s'est arrete」が上映中!

子供と散歩していて嬉しかったのは、道行く人たちが気軽に挨拶してくれること。
しかも子供達に。パリ住人がこんなにフレンドリーな性質であるとは想いもしなかったので、
うれしさと驚きはひとしお。

おかげで私も子供達も気軽なフランス語の挨拶にあっという間に慣れました。
やはり「グッモーニン!」より「ボンジュール!」のほうが受けるのですが、外国にいるときは英語モード、に切り替わってしまう私は、なかなか「ボンジュール」の一言がでてこなくて、散々苦労しているのです。

その点子供達は見上げたモノです。
日本語も英語もオフにして、周りの言葉を取り込んでゆくその柔軟さは哀しいけれど大人に真似のできることではありません。

そのうちどこで覚えてきたのか、サヴァ!だのサリュ!、オーボワ! などという言葉も口にするようになり、近所のパン屋や、カフェでのおつかいも、息子達が率先してするようになりました。

ほんとに子供は早い。羨ましいくらい。

米国から東京へ戻ったとき、当時5歳だった次男は2週間で日本語を喋りま始めました。
長男も最初の一ヶ月はだんまりでしたが、唐突に日本語を話すように。
うーむ、その脳細胞3分の一でいいからママに貸して!

パリ観光に、小学校低学年の子供をふたりも連れてくるアジア人の母親というのは珍しいそうで、
宿泊先のホテルでも、カフェでもレストランでも、とても親切にしていただいた。
日本にいたら「おとうさんはどうしたの?」なんて余計なことを聞いてくる輩がいるけれど、
パリではそんなこと一度だって聞かれなかった。

お父さんとお母さん、そして子供達。というのが定番家族構成ではない社会の当然のルール。
米国でもそんなこと聞かれたこと無かった。

私達夫婦はお互いに多忙で、ほとんど別居状態ゆえ、旅行するのも外出するもの、夫婦が揃うことは滅多にない。
子供達はそのときに時間のあいてる親についてくる。
他人がよその子供に対して家族のことを聞いたりするのはマナー違反である。
どうしてそれに気がつかないのか。
日本という社会は。

ホテルのコンシエルジュと話していたときに彼が言った。
「私が小学生のころ、クラスメイトの半分の親たちは離婚してました。もちろん今だってそうです。私の娘のクラスでは離婚どころか、結婚したことのない親だってかなりの数です。親がひとりなんで特別なことじゃありません」

なるほど!
私はひざをぽんっとたたき、なんて素晴らしく間口の広い考え方かと感心しきり。

そういった背景を合わせてみれば、よその子供達に大人達が心地よい挨拶をするのは当然のことだ。
家族という単位が希薄なら、それを補うのが社会とよその大人達(隣人たち)のつとめであろう。

だから私は声をかけられるたびにしていた緊張を解いて、にっこり笑顔で「ボンジュール!」と言えるようになった。

これは少しの自慢が入った笑い話しなのだけど、緊張を解きすぎてあまりにも抜けた顔つきになったせいか、
バックパッカーに2度ほど道を聞かれる。という栄誉に預かった。
その時は「あ〜らアタクシ地元マダーンにまちがえられちゃったわ〜ん」なんて有頂天になったのだけど、後々になって冷静になれば自分の先をダッシュで駆け出す子供達を英語で怒鳴るアジア人の女性は、そのバックパッカーたちにどのように映ったのか、はなはだ疑問。

おしゃれなパリの地元マダーンなのか、はたして移民したての子だくさんかあさんなのか?
真意は実に神のみぞ知る、である。

Posted: 水 - 4月 13, 2005 at 03:06 午後        


©