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パリ到着はロシニー空港そしてローマ法王パパさまの訃報


シャルルドゴール空港はもともと「ロシニー」という村があった場所につくられたことから「ロシニー空港」とも呼ばれているんだ。
空港からパリ市内のホテルまで向かう車の中で運転手のグザビエがそう教えてくれた。

パリ訪問は4回目なのにそれは知らなかった。
その名前のほうが簡単だし愛嬌があるしステキなのに。
私の受け答えに65歳のグザビエは「シャルルドゴールのほうが見栄えがするんだろうな」と笑った。

グザビエ、といえばセドリック・クラピッシュ監督の「スパニッシュ・アパートメント」のロマンが演じた内気な青年の名前。パリ入国からグザビエの送迎とはなんと幸先いいことか!
ひとり喜びながらパリ出張の始まりである。

ホテルのチェックインを済ませるとスタッフとともに夕食をとり、バーで軽くワインを呑んでその日はそれでおしまい。
11時間におよぶフライトは正直肉体的に辛すぎて、ベッドに倒れ込むのがやっとの有様。
バーのカウンターや部屋の浴室で倒れなかったのは我ながら感心。
四十路にして痛感する体力の低下にがくぜん。やれやれ

眠りたい身体とは裏腹に、時差ぼけと疲労のために上手く眠りにつけないまま朝を迎えると、快晴快晴日本晴れの青空に気分が高揚する。
「さあ働くぞ!」
シャワーを浴びてルームサービスで朝食をとり、メイクアップと着替えを済ませていざ出陣。

然るべき場所で然るべきヒトに会い、然るべき話しと打合せをし、然るべき食事をし、然るべきパーティージョークの披露を繰り返し、いつも通りの海外出張が滞りなく遂行され、さしたるイベントもサプライズもないままに、パリでの数日が過ぎてゆこうとしていたそのとき、ローマ法王御帰天のニュースが世界中を駆けめぐった。

私はローマカトリックの信者でローマ法王(パパさま)1981年の来日時には
後楽園球場(現東京ドーム)で行われた御ミサも授かっているし、19歳のころ訪れたヴァチカンでもやはりパパさまの御ミサに参列したことがある。
基本的に熱心なカトリック信者ではないけれど、それでもパパさまの訃報には狼狽を隠せず、周りの人間に陸路でも空路でもいいからヴァチカンへのチケットの購入を聞いて回る失態をやらかす始末であった。

しかし途方もない悲しみに暮れる信者と、それを取材するマスコミによってヴァチカン行きのチケットは空陸ともに入手できず、残されたのは自動車によるルルドへの道だけ。
ルルド、というのはピレネー山脈近くにある小さな村でローマ法王庁にも認定されている「聖母出現」があったとされるフランス国内の巡礼の地である。

仕事だけに熱中しようにもなかなか集中できない私を気の毒に思ってくれた現地スタッフから「悲しみと驚きを共に祈りましょう」と、鎮魂の御ミサへのお誘いをいくつも頂くことになった。

日常的にカトリック的要素からかけ離れた生活をしている私が、仕事でやってきたパリで10年分ほどの御ミサに授かるというのはなんとも不思議な因果を感じないわけにはいかない。
フランス人にまじって御ミサを受けることで私は落ち着きを取り戻し、今まで話したこともない「宗教」についての個人的な会話を仕事相手とその家族達とする機会に恵まれた。
それは素晴らしく新鮮で純粋で心温まる体験となって私の中に留まっている。

東京にいたらヴァチカンはあまりに遠く、クリスマスこそメジャーだけれど、カトリックそのものはマイナーすぎるほどマイナーな異文化である。
パパさまを悼む気持ちを落ち着かせ満足させるのは東京では難しかっただろうと思う。

最初の御ミサはノートルダム寺院。
追悼の気持ちと、現地の土産物屋で買い求めたロザリオを握りしめ、私は現地スタッフたち御ミサに授かった。

ノートルダム寺院といえばパリ発祥の地といわれるシテ島にあるマリア様をまつる世界的に有名な教会。

そういった歴史ある場所で、他の外国人たちとともに、ひざまずき頭を垂れてパパさまを追悼できたのは私にとって心安らかな貴重な体験であった。
荘厳で美しい時間を授かることで悼みと感謝で心が満ちた。

ミサに参列し、みなと肩を抱き合い慰め合ってホテルの部屋で夜通しローマ法王御帰天のニュースを眺めその日を過ごした。

意外なほどショックを受ける私はやはり間違いなくカトリック信者であった。
宗教とは不思議なモノだ。
普段その存在を忘れて生活していられるのは、自分の信じるモノを心底信頼し、心を寄せているからなのである。
決してないがしろにしているのではない。
いつもは気にも留めない両親のような存在なのかもしれない。

すでに両親を失っている私はそんな取り留めのないことを考えながらいつしか眠りにおちた。

Posted: 土 - 4月 9, 2005 at 06:55 午後        


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